北海道勤労者医療協会
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「人間の生存と発達の危機」の時代に-心的外傷を負う子ら(2) 田中孝彦一さん(武蔵川女子大学教授)に聞く
北海道民医連新聞 2011.01

子どもたちと保護者たちを支え、福祉・医療・心理臨床・教育などの領域で重要な働きをしている人々がいます。私はこれらの人々を「発達援助専門職」と呼び、できる限りその声を聴くようにしてきました。
 ある保護者が、両親が離婚してお父さんと暮らしている5歳のC君について語るのを聞きました。家には介護を必要とするお婆さんがいて、お父さんは朝早くから夜遅くまで働いています。C君は朝早く登園して閉園時間ギリギリに帰り、夕食は帰宅途中にパンを買い与えられることがしばしばの毎日です。 C君は、午前中は温和しく過ごしていますが、午後になると些細なことで感情をコントロールできなくなり、友だちを突き飛ばし、ものを投げて暴れることがあり、「保育園はイカンのだ。トウチャンが働いたお金をいっぱいとってるくせに」と叫んで保育者に冷たい眼差しを向けることもあったそうです。C君は「自分のことを誰も好きになってくれない」「保育園なんて無くなればいい」とまで言い、保育者はそれを「底なしの不安感がC君を包んでいるようだった」と語っています。
 その保育者は「どんな行為にも必ず理由があるはずだと受け止めて、子どもの本当の気持ちを探る力量を身に付けねばならないとつくづく思います」と語っていました。
 この語りは、子どもたちの間に、今までに見られなかったような荒れや閉じこもり、攻撃や依存の姿が目立つようになってきていることを示し、背後に親や保護者たちの不安定な生活があることも生々しく伝えています。
 同時に、子どもたち1人ひとりとその親・保護者たちの生活と生活史の理解を徹底的に深め、時間はかかっても信頼の絆を太くして、自らの実践との整合性を深めていこうとしている姿−敢えて言うと、そこに「専門職として腰を据える覚悟」とでもいうべきものがはっきり伝わってくるような気がします。私はここに希望を感じます。発達援助専門職の人たちに蓄積されている、現代の人間の生存や発達を支えるための貴重な経験と洞察に触れて、それらを庶民が共有できるような社会的努力、それを支える研究が必要だと考えています。

「そつ」のある生き方、仕事を

 長年教育運動を担い、教育実践にも深くとりくんできた教師たちから「もう頑張れない」という電話がありました。今、日本の教師たちに対して指導力不足だという批判が社会的に浴びせられています。指導力不足の教師に代わって国家が教育の目的と内容と方法を決め、品質保証をして、その通りの教育商品を子どもに提供する、教師は間違いなくその教育商品を提供する「実務遂行者」と位置づけ、その点で教師が有能であるかを点検するという動きが上からものすごい勢いで広がっています。
 けれども、今の社会の中で、大きく揺れ動きながら成長している子どもたちと一緒に成長しようとしている日本の教師たちの間では、一見平凡に見えるけれど、大事な洞察が含ま

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